ご無沙汰しております、今日の書のコーナー。
今回は「壷中有天」。
「壷中有天」は、「こちゅう、てんあり」と読みます。
安岡正篤氏の百朝集に、「六中観」という人の道を説いた名言があります。
「苦中、楽有り。」
「忙中、閑有り。」
「壺中、天有り。」
「意中、人有り。」
「腹中、書有り。」
「死中、活有り。」
これは、孔子、孟子、老子、荘子ほか東洋先哲の教訓に潜む普遍の真理を、人の道と指導者のあり方を論じた実践活学を説いたものです。
人間の基本は、活力、気迫、生命力であり、不変の真理を人間の品格を涵養する徳におき、人徳のない人間の行動は、必ず破滅すると説いています。
その中で「壺中有天」は、後漢書方術伝、費長房の故事からきたものですが、その内容については割愛させていただきます。
簡単に言えば、日常の生活の中に自らが創っている「別天地」を持つことです。
意外な人に意外な趣味があったりして、分からんもんだなと、しばしば思う事があるでしょう。
自分の別天地、人知れぬ別世界を持っている人は強いです。
ここで「強い」というのは、「救われる」と言った方が良いかもしれません。
意に満たぬ俗生活を強いられるのが人生の常でありますが、
そんな時に、俗世間のしがらみから逃れられる、利害など全く関係ない自分だけの世界を持ち、なおかつそれを深めていく努力。
苦難にあっても、どんな立場になろうとも、
心に余裕を持って生きていける、夢中になれる時間を持つ事が、大切だということです。
安岡正篤氏は、「たとえ一日5分でもいいから、壺中天有りの生活をせよ。」 と説いています。
そうやって得られた精神で、関わる人全てに正しく接することが出来る人間であれ。
自分は果たして、絶えず何かに打ち込んで、毎日充実した生活を送れているだろうか。
自らの「壺中の天」をどこに見つけるか。
年を取れば取るほど考えさせられる言葉のような気がします。